ふたりきりの真昼
少女たちの秘め事





処女から花嫁への移行





「マリア、明日おうちにきてよ。 一緒に読みたい本があるの。」
茶色い小さな鞄を背負ったシェリーが言う。生成りのブラウスとサックスブルーのスカートが、木洩れ日に照らされてなおさらやさしい淡い色になる。肌はまぶしいくらい白く、瞳はいくら見ていても飽きないくらい綺麗な青色だ。お母さんに結んでもらったのだろう、はちみつ色のおさげが歩くたびにゆらゆら揺れる。私たちは並木道をゆっくりゆっくり歩いている。
「もちろんいいよ。楽しみだなぁ。どんなお話なの?」
「マリアが好きそうなお話よ!」
「なにそれ秘密ってこと?!?! シェリーのいじわる! 気になっちゃうよ」
「明日まで教えてあげないよ! 楽しみにしててね!」
「ほんとに教えてくれないの??」
「ちょっとだけ教えちゃおうかな!」
「ねぇ、どんなお話なの??」
「うーんとねー、恋のお話なの!」
頬を両手で押さえながらそう言ったシェリーの頬が、つねったように赤くなっている。私の心まで華やいでいるのが分かった。真っ赤な唇が私のためだけの言葉を紡いでいる。でも、この子の頬を赤らめさせたのは誰なのかな? もしかしてその本に、かっこいい王子様でも出てくるのかな。

初夏の風が、私たちを優しく撫でる。
今までどんな季節も一緒にいたよね、シェリー。



シェリーのお家は壁が真っ白で、赤い屋根で、窓の縁が空色だ。ベルを鳴らすと、重たい茶色の扉からシェリーが顔をひょっこり出した。
「おじゃましまーす!」
「今日はお母さんいないから、気使わなくていいよ」
「ふたりでお留守番ですね!」
「ですね!」
「紅茶淹れるから、私の部屋でちょっと待ってて。なにがいい?」
「ミルクたっぷりのアッサムでお願いします!」
「承知しました!」

シェリーの匂いがするベッドの日なたがあたたかい。本でいっぱいのこの部屋を出て、階段を下りた先の右手側がキッチンだ。シェリーのことなら何でも知ってる、私がいちばん知っている。シェリーがミルクたっぷりのアッサムが大好きだってことも、知っている。

「おまちどうさまー」
「ありがとう!」
「いい香りでしょう? 私がお母さんと選んだの!」
「そうなんだ! なんかこの香り、シェリーらしい気がするなあ」
「ほんと? 嬉しいありがと!
あ、そうだ! 読んでほしい本、これだよ!」

シェリーが持ってきた本は、大きくて、ビーズと糸で伝説の生き物や天使の絵が描いてあった。ユニコーンやペガサス、ケルベロス、美しい長い髪を撫でる人魚、翼の生えた帽子をかぶり、蛇の絡んだ杖を持った天使…

「きれいな本でしょう! 私、この天使が好きなの!」
シェリーは翼の帽子の天使を指差していう。
「ヘルメス、だよね?」
「そう! よく知ってるのねマリア」
「でもこの天使、嘘とか盗みとか、巨人を殺したりもした悪い天使なんだよ?」
「知ってるよ! でも、ダークヒーローって感じで、かっこいいなぁ」

そういって頬を赤らめるシェリーは、私の心を震わせるほどに可愛らしい。
いつもいつでも、私はシェリーと一緒にいて、シェリーの仕草や声、姿を胸に焼き付けるたび、その記憶がダイアモンドみたいな鋭くきらめく破片になって、私の胸に突き刺さる。幸福な痛みで息ができなくなりそうな中、シェリーの隣にいる。このいとおしい痛みを、シェリーには知ってほしくなかった。その苦しみは絶対、私なんかがなれっこない、夢の中で出会うような素敵な男の子に注がれるはずなのだから。

「私は、その天使、嫌い」
「マリアは可愛いものが好きだもんね! この本、ヘルメスのお話、いっぱい載ってるんだよ」
「…ふうん?」

シェリーが言った通り、ヘルメスの物語がたくさん載っていて、私たちは彼の悪行の数々を一緒に読んだ。なんて悪い奴なんだろうなんて思ったけど、シェリーが許すなら私も許そうかなあなんて考えた。そうしている間もやっぱりシェリーは赤らめたほっぺたを押さえて、恋に憧れている。

ねぇシェリー、この本には書いてないけど、知ってた? 人間って昔は、頭がふたつに腕が4本で、ふたりでひとつの真ん丸い形をしてたんだって。でも、あまりに傲慢だったから、神さまがふたつに引き裂いてしまった。それから人は、なくした半身を探して、恋をするようになったって。

「ねえシェリー、私のこと好き?」
「え?! そんなあ、面と向かって聞かれると、なんか照れちゃうなあ…。」
「シェリーのこと大好きよ」
「知ってるよ」
「これからもずっと大好きだよ」
「…私もだよ」
シェリーがとても真面目な顔をして私を見ている。数学の問題を解いている時でさえ、こんな顔をしているのは見たことがない。

「マリア、結婚式しよう!」
「えっ?」
シェリーはベッドからシーツを引っぺがしてかぶって、その中に私を引っ張り込んだ。たわんだシーツがヴェールみたいにシェリーの顔を隠している。綺麗だな。
「えーと、汝はシャーリー・スコットを、病める時も健やかなる時も」
「愛します誓います! 汝はマリアン・エメラルダを、病める時も健やかなる時も…?」
「愛します誓います!!!」
シェリーが目をつぶって私の手をぎゅっと握る。
「マリアと、ずっとずっとずっと一緒にいられますように」
「ねぇシェリー、キスしていい?」
シェリーの目からは今にも涙がこぼれそう。